写メ日記

  • 【風俗伝記第一章⑤】 ~渡る世間はカスばかり~

【風俗伝記第一章⑤】

~渡る世間はカスばかり~


家を出て住み込みで看護助手として働きながら
高校にいける事は
私にとっては養父から逃れられ何より嬉しく

ようやく幸せな日々が訪れると期待していました

平日はam5:00に起き
学校の前後医院で働き

土日は先生と奥様の雑用をし

唯一の休みが日曜日の夕方からのみ

それで3食無料でご飯が食べれて

医院から学校までの電車賃が出て

4畳半のお部屋が与えられ一ヶ月のお給料は三万円

(うち二万千円が授業料なので9000円がお小遣いでした)ちなみに他院で働く学生はこの倍は貰っていましたが私には充分なお給料でした

 

准看護師の資格を取ったら

東京の看護学校を受験するつもりでいたので

9000円のうち8000円貯金し

1000円だけ養母と公衆電話で話すお金にしてました


高校時代の私の楽しみは

養母との公衆電話での会話と学校の休み時間くらい

3年間一度も実家に帰ることもなく

近づく事もしませんでした

医院の奥様は絵に描いたような意地悪BBA

この医院に配属された学生は皆

夜逃げしてしまうほど虐めが酷く

3年間ここで過ごせた学生は1人もいない

私がこの医院に来た時には

部屋の窓には鉄格子がつけられ

夜22:00過ぎたら外から部屋の鍵をかけられ

「朝まではココで排泄するように」と

狭い部屋にポータブルトイレが設置されました

チクチクチクチク虐められるのは

日常茶飯事でしたが

今では考えられないかもしれませんが

院長夫人は気に入らないことがあれば

ずっと持ち歩いてる木の物差しで容赦なく叩く

見えない場所は常にアザだらけ

学校の先生に相談したかったけど

ここでも私は自分の居場所がなくなる
恐怖心が発動してしまい
ここを辞めたら家に帰って
養父の虐待にあうのであれば同じ事!と
医院での出来事は誰にも話さず我慢の日々

ある朝、パンが朝食に出て
その食パンには明らかに青カビが生えており
院長夫人が「ほら!こうすれば分からず食べれるから」とジャムとバターをべっとり塗りカビの生えた食パンを出されました

出されたものを食べるしか
あの時は生きていく道はなかった

虐められても虐められても屈しない姿が余計に

院長夫人の逆鱗に触れ虐めは
エスカレートしていってました


夏場はカビは生えやすくパンだけでなく
色んな食材を◯なない程度にわざと軽く腐らせて
食べさせて苦痛を味あわせる
初めは下◯痢したり吐いたりしていたけど
院長から薬を処方され症状緩和
そのうち

耐性がついてきたのか胃腸症状は出なくなりました

ただこの医院で住み込みで働く中で
私が耐え難かった事は
院長夫人のイジメ以上に院長の世話係でした

これが学生達が逃げ出す理由だったんだ…

【風俗伝記第一章⑥】

~院長の世話係~

次回に続く


  • 【風俗伝記第一章④】 ~性的〇待の末に~

【風俗伝記第一章④】

~性的〇待の末に~

私が中学3年生の時に
養父から性的〇待を受けました。

その片鱗は幼少期の時からチラホラ出てました

小学生の私の口に舌を入れてきて
「ほら、お父さんにチューしてみ」頻繁に強要
「舌を絡ませて」とか「唾液交換」とか
子供の私には考えられないような
キーワードを吐く父親

私を溺愛していましたが
その愛の形が年月を重ねるこどに変化していき

幼少期はキス程度で済んでいたものが
身体が変化していくと共に
母がいない隙を狙って
挿〇までは至らなかったけど
卑猥なことを隙を見て何度もしてきました


私の中で養父に対して

怖さより気持ち悪さが上回り
顔を見るのも同じ空気を吸うのですら
嫌になっていました

養母は病弱なのに働き者で
養父がギャンブルで作った借金や
飲み屋のツケを払うのに
朝から晩までずーっと働いていました

私がいつまでもこの家にいると

養父の恰好の餌食になると思い

パンチ先生に
「このままでは、いつか養父を〇してしまうかもしれないので早く私を家から出させてください」とお願いしました


パンチ先生:「言える範囲で話てくれないか?」

私:「話せません!家を出たら解決できますので」

それ以上はパンチ先生は理由を聞かなかったけど

おそらく察していたと思います

パンチ先生:「何かあったらすぐ電話してくるんだぞ」

母が帰ってくる時間まで
私は養父と2人きりになりたくないので
遊び相手がいない日は養母の働き先にいき

そこで宿題をしてお手伝いをして一緒に帰る日々

帰ったら養父が酔っ払って
競馬新聞やパチンコ雑誌をみていたり…
ぐうたらした生活をしている姿をみても
養母は何も言わない


だらしない!なさけない!
こんなヤツがいなければ
養母はもっと楽に生きていけるのに

私には養父はゴキ〇〇以下にしか写っていません

顔を合わすのは夕食だけ
この時間だけ我慢すれば

こんなことをされても
親に捨てられる恐怖は抜けず

常にいい子を装っていましたが

心の中では何度も何度も
養父を◯ろしていました
(◯ね!◯ね!◯ね!地獄に堕ちろ)


そうこうしてるうちに数ヶ月後
私は晴れて〇〇医院で住み込みで働きながら

准看護師の資格が取れる高校に通いはじめました

養母と離れるのは凄く寂しかったけど
籠の中の鳥が空に羽ばたいていくような感覚で
中学卒業と共に親元を離れ下宿生活がはじまった

「わぁ~い自由だぁ~」と思って飛び込んだ先は…



【風俗伝記第一章⑤】

~渡る世間はカスばかり~

次回に続く


朝イチ

2024/12/06 12:15:19

  • 朝イチ





こんにちは~みゅうみゅうです

昨日会いに来てくださった皆様方~楽しい

時間をありがとうございました

終わりよければ全てよし

より

始まりよければ全てよし

この世界に入って凄く思うんです

出勤一番のお客様で一日が決まる

なので一番のお客様入る前は祈ります
「いい人でありますように」って

朝イチ呼んでくださる方って皆様
100%良い方ばかり

朝ムラムラする人ってふふふ

そして連勤の時は

【終わりよければ全てよし】で
明日もいい一日が確約されたものとして
安心して眠れます

素敵なお客様方に恵まれて最高の一日を

過ごすことが出来ました

またお会い出来る日を
楽しみにお待ちしております

次回出勤は

11/07土曜日10:00-22:00

11/08日曜日10:00-22:00

11/09月曜日休み

11/10火曜日休み

【本日のキーワード】

カリ攻め好き男子/ソファーでスイッチオン/結局昼のみw/若いのに攻め受け上手/出張帰りの息抜き/若い子とは合わない/〇〇分〇回は新記録/口に入りきりません/シャイボーイなのにここぞの時は…/手マンだけだと…/凄い勢いで飛びます飛びます♪/好評オイルマッサージ/久々の逆夜這い/仰向けでなく横向きはじまりの夜這い/後方攻めで…/セッ〇スレス/バイアグラ検討中/それはセッ〇スPTSD症状/実は責め好きを後でカミングアウト/いやいや早く言って?/

キス大好き叔父様/この歳で〇回イケると思わなかった/感激された/日記みて気になって/下半身マッサージは確実に元気になりますね/出張帰りお疲れ様/感度良すぎて/私が痙攣はじまると〇〇サイン/



around40みゅうみゅう

  • 【風俗伝記第一章③】 ~捨て子の進路~

【風俗伝記第一章③】

~捨て子の進路~

高校進学を決めるとき私は担任に

「住み込みで働きながら通える学校ないですか?新聞配達でも工場でも住み込みが出来てご飯が食べれて学費も出してもらえるそんな高校探して欲しいです」とお願いしました

私が唯一自分の思いを素直に言える場所が

中学の3年間担任だった

パンチパーマの皆が恐れるパンチ先生

私の性格を知ってか?

3年間ずーっと担任で

交換日記をしてくださってました

目の前にしたら話せない事も

日記帳の中だけは素直な自分が出せて

自分の感情を日記の中で受け止めてくれていた

先生でした

先生に日記でよく夢を語っていました

私の養母は心臓が弱く

よく入退院を繰り返していたので

病院に行く機会は多く 

看護師に対する憧れは大きかった

貧乏だったので高校すら行く余裕のない私に

そんな夢が叶うわけない!と

当時は思っていましたが

夢を夢として交換日記帳に書くだけでも

あの時はなんだか幸せでした

先生との日記の最後に必ず

【白衣の天使みゅうみゅうより】で

締めくくりイメージだけ膨らます中学時代

その間、

先生はずーっとずーっと
探し続けてくれていたらしい!

何をって?

ある日嬉しそうに「みゆう~住み込みで働きながら
準看護師の資格を取れる学校があるぞ!
頑張れば正看護師の学校に進学もできるらしい
白衣の天使どうや?」と
パンチ先生が目をキラキラ輝かせながら言ってきた

勿論「行く!」と言う選択肢しかない!

「憧れの白衣の天使」になれるという思い

「一日も早く家を出たい!」という想い

これ以上

養父と一緒に暮らすことは私にとって

〇〇者になるのではないか?と思うほど

追い詰められていたからです

【風俗伝記第一章④】

~性〇的虐〇待の末に~をお送りします

次回に続く


  • 【風俗伝記第一章②】 ~私は誰の子?~

【風俗伝記第一章②】

~私は誰の子?~

私は3歳の時に心臓に自病を抱え
子供の産めない身体の養母と工場で働く養父と
養子縁組をしました

家賃は1.5万円の小さな隙間風が入る
ボロアパートに家族3人で貧乏ながらも
幸せに暮らしていました

小学低学年の時に私の親戚の祥子(仮名)が
突拍子もない事を学校帰りに皆の前で言うのです

祥子:「ミユウちゃんって捨て子やで~」

急いで友達がかばうと

祥子:「うちのお父さんが養護施設にミユウちゃんの

親とミユウちゃんを引き取りに行ったって言うてたもん。帰ってお母さんに聞いてみ」

私は小さな頃から気が小さく

養母に聞く勇気がなく家に帰っても黙っていたら

学校の先生と祥子の親と祥子が
我が家に頭を下げに来ました

「嘘をついてすいませんでした」と

嘘?  

子供の私でも分かる違和感だらけの大人の嘘

それでも私は何も母親には言えずにいたら

皆んなが帰ってから養母が
母子手帳を持って私の前に来て謝りました

養母:「ごめんね黙ってて、ミユウちゃんはお母さんが産んだ子じゃないの。ただお母さんは自分の子供としてこれからも貴女を大切に育てていきたい」

そう泣きながら言われ
私は泣くに泣けず
自分の想いを
ひた隠し頷くのが精一杯だったのを覚えています

養母がいない日に引き出しに隠してあった
母子手帳をみつけ
母親欄の養母の名前を上から紙で貼ってあったのを
そーっとめくると実母の名前が出てきました

本当のお母さん…

私の本当のお母さんに会いたい

一瞬そう思ってしまった自分に対して
とんでもない罪悪感と
なんて親不孝者(育ててくれた親に対して)
と自分を責めていました

実母に会いたいと言う気持ちを

この日以来封印し考えないようにしました

そして小学一年生で私は捨て子だと分かってから
元々消極的だった性格は
加速し家でもとにかく「いい子」を演じましたし
欲しいものがあっても食べたいものがあっても「欲望」を表に出すことは一切しない子になってしまいました

何故なら…また捨てられるのが怖かったから

普通の子は
親に捨てられる怖さに怯える生活なんて
していないんだろうけど
私は常に親の顔色を伺っていた

そして経済的余裕もなかった養母に
自分の事で負担をかけたくなかったのもありました

「高校どうしようかな…」

【風俗伝記第一章③】

~捨て子の進路~をお送りします

次回に続く


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